紳助のダウンタウン論

ダウンタウン島田紳助のトーク。

紳助がダウンタウン論を語る。

 

紳「俺はな、別に本人を目の前に褒めるわけちゃうけども、(ダウンタウンが)一番おもろいと思うで、今。ピカソの域に入ってるやんか。ちゃんとできんねんけど、それをいかに崩してリアリティをつくっていって、ワザとリズムをはずすかっていう。松本のボケいうのはチェンジアップやんか、野球で言うたら。ね? まっすぐ速い球投げられるんやけれど、そこでタイミングを外して投げる。そこで気持ち悪い笑いが起こるやんか。ああいうのって、すっごい高度な技術やんか。俺、あれ見た瞬間に、"ダメや"と思ったんや。"絶対に辞めよう"と。"こんなものと比べられてな、やったら、この芸能界でお笑いの世界で俺は生き残ってけぇへん"と。比べられた瞬間に。だから、"自分が生き残っていくためには(お笑いを)辞めなあかん"と」

…中略…

紳「(ダウンタウンが)デビューしたときに、"浜田のツコッミは上手い、上手い"とか言うてる子がおったけど、いま目の前で失礼やけど、"違う"と。"浜田のツッコミは努力でできんねん"と。でも、"松本のあのボケは非常に高度や"と。1個ずらしてへんやろ。1テンポずらしたら、間をはずすねん。0.5とか0.3ずらしてくるのが面白さやねん。だから浜田は一所懸命ドラマによう出よんねん。不安やからや」

(浜田笑う)

浜「この先が」

紳「先が。絶対お前は不安や思うねん。だからお前、人に愛想ええもん」

浜「いやいやいや、ていうかね」

紳「楽屋でも"おはようございます。おはようございます"って《腰を低くしてお辞儀して》」

浜「人を西川さんみたいに」

紳「お前はそれでええと思うねん。律儀やし」

浜「うん、というかね」

紳「コイツ(松本)、生意気やろ?」

浜「僕ね、お笑いで自分で最後までっていうのは考えてないんですよ」

紳「せやろ。お笑いでは無理やもん」

浜「うん、無理。隣が偉大すぎるから」

紳「そうそうそう」

浜「これは無理なんです」

紳「お前はやっぱり頭ええわ。まあ、ゆっくりこいや。あんま頑張んなよ。今は司会とかすんな!人の仕事をとろうと思って」

ダウンタウン笑う)

浜「いやいやいや」

紳「お前は役者になれや」

浜「いや、分野が、別に違うじゃないですか」

紳「お前は役者になれや。この前もなんか特番の司会してるの見て焦ったんや、俺」

ダウンタウン笑う)

紳「来るな!まだ」

浜「いや、だから」

紳「番組に苦情のハガキを出すぞ」

(浜田笑う)

松「まあ、スタンスがちゃいますから」

浜「そう。みんな違うじゃないですか」

紳「そうか?」

浜「そら違いますよ!」

 

 

***解説***

ダウンタウンDX」より

 

1994年放送。  

紳助は1977年に松本竜介とコンビを組み、1985年のコンビ解散まで漫才を続けた。

以降、漫才からは遠ざかり、引退を表明した2011年まで司会業を活動の中心に置いていた。

つまり、芸能生活のなかで司会者として過ごした期間のほうが圧倒的に長かったのである。

紳助は番組内で松本を絶賛する一方で、浜田に対しては「お笑いでは無理」と芸人としての才能を否定している。

しかし、それは決して悪い意味だけでなく、紳助自身が司会業に転身したように、浜田も別の形で芸能界で生き残る道を見つけて欲しいと思ってのことだった。

浜田はこの番組が放送された1994年以降、司会業や役者のみならず、歌手や声優として活躍の幅を広げている。